伝説の武道家 福田祥円 内弟子日記

その3 

名古屋駅に着いた彼は、何せ余り列車に乗る事が無いため八戸駅[はちのへ]までの切符をハット駅までくださいと言う始末。2月28日と言えば東海地方は寒いですが軽装でも過ごせる季節、ましてや青森の気候など想像すらしてない。14時間かかる道のりも想像もしていない。彼はずっと立ちっぱなし。行けばなんとかなると楽観視。

20時到着。少々疲れが出たらしく頭痛が、ひどかったらしい。何と八戸駅を出たらその寒さと雪に体が硬直。その当時は、駅前には、店がほとんど無く大変暗く寂しいところである。

 1軒の飯屋の灯りが灯っていて、吸い込まれる様に入って行く。

カツ丼下さい。注文したが何と店のおばさんの返事が、聞き取れない。ここは、日本だよなと思いながらまた再度、カツ丼下さい。又おばさんの言葉が聞き取れない。店の奥から若い店員さんが出てきて、ハイカツ丼ですね。と話が通じた。

若い店員さんがどこから来たと聞くので、名古屋からと答えた。せばわかねぇべ、ことばが。

ハイさっきのおばさんの言葉全くわかりません。と答えたら だべの返事。どっと疲れが出た。

えらいところに来てしまったな。帰るなら今かなホテルに泊まって帰るかなとも気の弱さが出た。

カツ丼は美味しかった。腹ごしらえで冷えた体が温まり福田先生に到着した電話を入れる勇気が出て来た。

「到着しました。」

「では、そこで待ってなさい。弟子が迎えに行くから。30分くらいで着く。」

「ありがとうございます。」

 

彼は、幼少の頃から柔道を少々父から学び、空手など、色々武道経験はありました。

武道を始めたキッカケは、小学生時代 名古屋の昭和区滝子にある神社の境内で夜 数人の空手家の人が上半身裸で息吹三戦をし、体に角棒をぶつけ折っている光景が、あたかもスーパーマンでも見るかのごとき衝撃を受け暫く稽古を見て、やってみたいと思っとのがキッカケになっていた。

伝説の武道家 福田祥円

その2

ここに記載する日記は、その厳しい福田祥円先生の内弟子となり1974年から1982年の修行時代の日記を綴るものです。彼は福田先生より称号を頂き平國と言います。

 

朝6時 大学3年の彼は、初めての長旅。名古屋から青森までの列車。その当時は、新幹線は東京までその後は、東北本線乗り継ぎでした。

 さア青森までいくか。名古屋の本山地下鉄駅まで行き、まずミスドモーニングコーヒー

彼は、福田祥円先生率いる中国空拳法道とは、どんな武道か興味が湧き前もって手紙を出し一度来なさいの連絡をもらい、大学の休みを利用しまず1カ月間滞在しようと軽い気持ちで地下鉄に乗り名古屋駅から、一路青森を目指したのです。

伝説の武道家 福田祥円

10年程前、シンガポール人が、冬の雪山、白神山中で、父親が東北の空手家に、習ったナゾの秘伝書を譲り受けたいとして、山中ではぐれ遭難しかかった事件がありましたね?徳光さんの番組とか、その当時は、色々報道番組に、登場してましたね。福田祥円。東北青森の地では、泣く子もダマル空拳法として、通信教育もやっており、三沢米軍基地なども含め米国では、グランドマスター祥円福田として、かなり有名な武道家。

 当時は、世界中に、14万の弟子があるとも言われており、福田祥円の弟子になろうと世界中から押し寄せるも、その厳しさに早い者で入門の次の日に、夜逃げする者も多く持って三ヶ月と言われている。日貿出版のラッパ放浪記に、ドキュメントタッチで描かれております。また、福田先生の書体も独特な味があり1筆依頼も多くあったそうです。

 独特な呼吸法雷声三戦は、飛んでいる鳥をも落とし、ガラスの窓さえ割れてしまうほどであるそうです。対人では、動きを止めてしまうほどらしい。大東流合気柔術の透明な力にも、同じ様な体の使い方をするのではないでしょうか。